『礼文華観光案内』正誤表もしくは追補

公開:Apr24 / 2017
 最終更新:Nov4 / 2018

まずは

 Nov4 / 2018 追記

本書は微修正を加えた版が存在します.表紙をご覧頂いて,「礼文華観光案内」の題名の右下部分に
 ✓何の記述もないもの : 初刷版(2011 年発行初刷)
 ✓「ちょい+」と書いてあるもの : 「ちょい+」版(2015 年発行第2刷)
 ✓「微改訂」と書いてあるもの : 「微改訂」版(2018 年発行第3刷)
となります.

初版をお持ちの方はこちらの追補もご覧下さい(pdf 形式).2015 年夏に発行した「ちょい+」版こと第2刷で書き足した4ページです.

初版および「ちょい+」版をお持ちの方はこちらの追補もご覧下さい(pdf 形式).2018 年秋に発行した「微改訂」版こと第3刷で修正したページです.

7 ページ /追記

 Nov4 / 2018 追記

小幌駅では特急が全速力で通過する・・・いや,実はしません.

札幌方面行き列車は
 ✓駅の西側 320m 付近・新辺加牛トンネル内,旧幌内トンネル接合部の曲線で 105km/h
 ✓小幌駅構内の曲線で 100km/h
函館方面行き列車は
 ✓駅の東側 200m 付近・新礼文華山トンネル内の曲線で 115km/h
 ✓駅の西側 340m 付近・美利加浜トンネル内のS字で 105km/h
それぞれ速度制限を受けるためです.札幌方面行きの特急列車は小幌駅通過と共に礼文華峠最後の登りへ向けて力行を開始しますし,函館方面行き列車は完全に「惰行」で通過していきます.

速度制限とは関係なく「TRAIN SUITE 四季島」の函館方面行きは「徐行」で通過します.その他団体専用列車が徐行で通過することもあります.どう考えても車窓観光地扱いです.

「特急が猛スピードで通過していく」なら,隣の静狩駅の方が速度は乗っているでしょう.反対側の礼文駅は小幌駅同様,前後区間で地味に速度制限がかかります.いずれにしても列車通過時はホーム端に近寄らないように.

8~9 ページ /初刷版・ちょい+版共通

2016 年春のダイヤ改定で大きく変わっています.

Plan-2a は往路が小幌 15:12 着,復路 15:44 発の 32 分滞在になりました.礼文駅等からの「パークアンドライド」,または洞爺駅まで/からの特急利用も可能です.他のコースは全て減便により実現不能になりました.

代替案としては東室蘭方面から小幌 15:12 着,復路 17:39 発で長万部方面へ出る2時間コースがあります.普通列車のみの利用でも倶知安まわりで当日中に札幌へ帰着可能,また洞爺まで/長万部からの特急利用も可能ですが,夏季以外は滞在中に日没を迎えますので注意して下さい.

また,新たに長万部方面から小幌 19:46 着,復路 20:04 発で長万部方面へ戻る「夜のチラ見コース」が可能になりました.

同様に小幌 17:39 着,復路 19:46 発で礼文・洞爺方面から行って帰ってくる2時間滞在コースも可能になりました.ただしこちらも3~9月頃以外は真っ暗ですし,夏期でも夏至頃を除いて滞在中に日没を迎えます.

総括すると,日中は不便になったが,日没頃や日が暮れてからは逆に便利になったということに・・・

8~9 ページ /追記

 Jul1 / 2018 追記

長万部,静狩,礼文,大岸,豊浦,洞爺等,小幌へのアクセスに便利な各駅は共に駐車が可能です.全て利用無料,夜間滞泊も可能ですが車上荒らしには十分警戒して下さい.また洞爺駅以外は満車になることは(駅によっては利用自体が)そうそうありません.

長万部:駅南隣に隣接する広大な町営駐車場あり.予約不要.夜間以外有人駅.
 静狩 :駅前に駐車可能.5台程度.
 礼文 :駅前に駐車可能.10台程度.
 大岸 :駅前に駐車可能.5台程度.
 豊浦 :駅南側・道路向かいの広場に駐車可能.10 台程度.
 洞爺 :駅南隣に列車利用者用駐車場あり.要予約.有人駅.

札幌方面から車+汽車利用で小幌駅を訪問する場合,国道 230 号→(洞爺湖町内分岐)道道 285 号(豊浦洞爺線)経由で豊浦町へ抜け,豊浦駅からの利用が便利です.駅の場所がわかりにくいですが・・・

10 ページ /各版共通

May12 / 2017 追記

「変圧器三兄弟」について「PCB を使っていて撤去できないなんてことはないの?」という質問を頂きました.結論としては高い確率で「PCB 不使用」です.

論拠としては,銘板に印された型番や形式から油冷式ではあるものの「不燃性油」とはしていないこと,また「日本が PCB を輸入/製造する前の時代」に製作された旨の銘板が打たれていることです.

でもいい加減に撤去しないと朽ちて中の油が流出し始めるとかありそうですよねぇ・・・いつ頃から野ざらしになっているのかはわかりませんが.

13 ページ 29 行目 /初刷版

誤:海岸の一角にケウポル呼ばれる洞穴
 正:海岸の一角にケウポル呼ばれる洞穴

15 ページ /各版共通

Jul1 / 2018 更新

オアラピヌイ・美利加浜方面への道は 2015 年秋に大きく崩れました.一時は通過不能であったり,親切な人の手により通過できるようになっても,ちょっとした慣れや気合が必要でした.その後 2017 年春にかけて再び大きく崩落し,逆に通過しやすくなりました.近年は中級コースにランクアップとご理解下さい.

23 ページ 33 行目 /初刷版

誤:礼文華トンネルと礼文トンネル
 正:礼文華トンネルと礼文トンネル

29 ページ /初刷版・ちょい+版共通

重大な誤謬がありました.1ページ丸ごとこちらの pdf ファイルに読み替えて下さい

抱えていた違和感はやはり間違いではありませんでした・・・

29 ページ /追記

室蘭本線開業時の「幌内隧道」は「落石覆いで美利加浜隧道に一体化併合」を経て現在の「新辺加牛隧道」の一部として組み込まれ,現在残っている「幌内隧道」は信号場化時に新たに掘削されたものです.同じ「幌内トンネル」という名を冠していても別物であるということになります.

右写真は現在の長万部方面行き列車の後端,美利加浜隧道内から小幌駅方向を撮影したものです.画面右手方向にS字を描くように続いているのが現在の線路で,その先は「幌内隧道」「小幌駅」「新礼文華山隧道」へと続いています.正面を見た先が最初期のルートで,現在は「落石覆いで一体化された」部分には機器ボックスが設置され,また壁によって元々の「幌内隧道」出口が封鎖されていることが見て取れます.

こちらは東室蘭方面行き列車の後端,新辺加牛隧道内から長万部方面を撮影したもの.画面手前が小幌駅方,奥側が静狩方です.現在の線路は右手に逸れて続いていますが,真っ直ぐ行った先はブロック積みで塞がれたトンネル坑口が見受けられ,これが先の写真の「裏側」になります.室蘭本線開業時に線路はここから真っ直ぐ美利加浜隧道へ続いており,現在「新辺加牛隧道」とされているトンネルのうち小幌駅側約 320m が最初に開通した「幌内隧道」であったことが伺えます.

初刷版・ちょい+版では触れていますが,現在残っている「幌内隧道」は複線化時に改築を受けています.理由は不明ですが,戦時突貫で築造されたことや,一時期この区間の電化が検討されたことと関係があるかもしれません.複線化時に新たに掘削されたトンネルは全て電化を意識した「天井の高い」ものになっており,既存線も路盤下げ等の改築が検討された資料が残っています.

信号場内は原則通りの「左側通行」です.静狩方面への列車は幌内隧道と美利加浜隧道の間のわずかな空間に頭を出して停車します(旅客列車など一部は幌内隧道東口を頭に停車していたようです).礼文方面は礼文華山隧道の入口手前に停車です.この関係でタブレット交換が困難なため,静狩~小幌~礼文間には「連動閉塞」が採用されました.また静狩方には安全側線が存在しましたが,礼文方は停止位置から合流点まで 200 メートル以上の余裕があるためか安全側線は置かれなかった(代わりにトンネル内に 100m ほど入った場所に脱線ポイントが設置されていた)という記録が残っています.また礼文華山隧道内合流点の礼文側に,トンネル内送風機が設置されていた空間が現在でも残っています.

右写真は東室蘭方面行き列車の後端,礼文華山隧道内から小幌駅方面を撮影したもの.真っ直ぐ進んだ先が小幌駅になっており,現在のルート=ここに最初に鉄道が開業したときのルートであったことが推察されます.写真ではわかりにくいですが画面少し奥側は左手側に広くなった空間があり,横取用の線路が「小幌駅の礼文方に3つ並んだ坑口のうち真ん中のもの」に続いています.またトンネルが広くなった部分からやや画面手前側にトンネル側壁が真っ直ぐ立った部分があり,これまた写真ではわかりにくいですが,すぐ向こう側の左右共にトンネル内送風機を設置した空間が,すぐ手前側に風の吹出口があります.向かって左側の吹出口はトンネル補修のためか塞がれてしまっているようです.

東室蘭方面行き車内から,進行方向右手側の送風機のあった空間を撮影したものです.注意して車窓を見ていても一瞬で通り過ぎてしまいます.

また,車窓から見た合流地点の様子に関してはてんぽく 2000 氏が YouTube にて公開しているふたつの動画がわかりやすく説明しています.解説では触れていませんが「下り列車編」には礼文華山隧道内「トンネル内送風機」の空間もしっかり写っています(2'09" 付近及び 3'53" 付近)

ってーか開業時に「幌内隧道」っての作ったという記録があって,現在実際に目の前に「幌内隧道」ってのが存在したら,それが開業時に作られたものだと思うよね? いつしかそれが広まり通説と化していたわけですが,ところが開業時のそれは 322m,現在のそれは 318m,両者は「実は別物」だったというわけです.トンネル内を歩いて行くわけにはいきませんから到達するのに苦労しますが,現在でも「(現在の)幌内隧道」西口から 4m ほど美利加浜隧道側に突き出た「遺構」を見ることができます.誤解の大元も突き止めましたが,犯人探しが目的ではないのでここでは触れません.ただ,これまでの通説は誤りであった,とだけ.

また「真ん中の坑口」が塞がれた時期を,某百科事典に倣って「2004 年頃」としましたが,実際には「2002 年秋」だったのではないかと推測しています.「2002 年夏には開放されていた」「2003 年夏には塞がれていたが真新しい感じではない」という状況証拠からの推測ですが,何か情報をお持ちの方がいらっしゃればご提供頂ければ倖いです.

29 ページ /さらに追記

May12 / 2017 追記

手許の写真からちょっとお蔵出し.幌内隧道~美利加浜隧道間の近年の様子です.ちょろっと映っている線路は長万部方面行きの上り線.右手に見えるトンネル壁は「現在の幌内隧道 (318m)」西口坑口です.その奥に,左手方向に伸びる石積みの擁壁が「開業時の幌内隧道 (322m)」のものと推測されます.
 そこから更に左手には「幌内隧道と美利加浜隧道を一体化するように作ったコンクリート製の落石覆い」が見えます.これの存在が先人を惑わす原因でもあったんですよね・・・ちなみにこの落石覆いができたのは,資料や証言から 1947~1948 年頃と推測されます.開業~信号場化当初にはなかったものです.

もう1枚.幌内隧道~美利加浜隧道間です.手前に見える線路はやはり長万部方面行きの上り線のもの.その奥には信号場時代の東室蘭方面・下り線が通っていたと思われる空間があり,さらにその奥にちらっと見える銀色のものは新辺加牛隧道を通過中の札幌行き特急列車です.現在の幌内隧道~美利加浜隧道間と新辺加牛隧道東側はこのような位置関係になっています.

なお,上記の写真はいずれも小幌駅から山を迂回して現地に入り,軌道敷地外から撮影したものです.トンネル内を歩くなどの行為は鉄道営業法に触れるだけでなく,列車接触などの危険もあります.お控え下さい.

30 ページ 5 行目 /各版共通

正確なところがはっきりしません.

「鳥伏」の読みを,初刷版では「とり」,ちょい+版では(当時は歴史的仮名遣いのため)「とり」が正しいとしました.この件に関して,昭和 21 年運輸省鉄道総局出版『鉄道停車場一覧』は「とりふ/Toriu」と記載されています.対して 1998 年 JTB パブリッシング発行『停車場変遷大事典』は信号場設置に関する当時の内部資料を直接の依拠とし,当時の文書が歴史的仮名遣いであることを認めつつ現代仮名遣いにて「とり」としています.

信号場現存当時の国土地理院地形図では現地付近は「トリブシナイ」という地名が付されており,また「鳥伏」という字からも「とり」が自然と考えられます.また,かつて小幌信号場に勤務していた国鉄 OB より直接伺った話(「小幌と礼文の間にあった信号場の名前を覚えてらっしゃいますか?」というノーヒントの問に対して)では「とりふし」であり,(「ふ」か「う」かという問に対して)「とりうしではないとの弁.

札幌鉄道管理局が発行した「鳥伏信号場」の休止・廃止に関する当時の通達文書にも読みは記載されておらず,恐らくルビが振られていたであろう「設置」に関する文書は戦渦で失われ,はっきりした資料が不在という状況です.いずれにせよルビが振られていても歴史的仮名遣いで「とりふ」と書かれたのでしょうが・・・

Jul1 / 2018 追記~

札幌鉄道管理局が発行した「鳥伏信号場」の「設置」に関する当時の文書には読み仮名が振られていますが「とりふ」とされています.繰り返しますがこれは当時使用されていた「歴史的仮名遣い」であり,「Toriu」でも「Torifu」でも,共に「とり」と表記します.また信号場の「休止」に関する通達文書や,「現代仮名遣い」に改められた後の「廃止」に関する通達文書には読み仮名が振られていません.悩ましいことです.

ついでに書いてしまうと,「鳥伏」を「とり」とした唯一の拠り所たる昭和 21 年の運輸省鉄道総局出版『鉄道停車場一覧』もどこまで信用して良いかわからないんですよね.例として室蘭本線の「錦多峰駅(現在の錦岡駅)」はローマ字で「Nishitappu」と書いてある割に平仮名の読みは「したつぷ」になっていたり,「歴史的仮名遣い」と考えても不可解極まりなく.参考までに同・昭和 12 年版では「にしたつぷ」と正しく書かれていたり.同様に「南美唄」が昭和 12 年版では「みなみびば」と正しく表記されていたものが昭和 21 年版では「みなみびば」になっていたり.但しローマ字の読みは「Minami-Bibai」と正しく表記されていたり.さらに「鳥伏」をはじめとするいわゆる「戦時型信号場」は一切索引に載っておらず,急造した感が否めません.その他にも昭和 21 年版のそれは誤りが散見され,どこまで信用して良いかいまいち怪しい資料という印象が拭えないのです.そのくせ同様に「ふ」の字で終わる「比羅夫」は「ひら/Hirafu」になっているのが憎らしい(これは正しい).また,昭和 12 年版ではローマ字の読みは振られていないのですが,昭和 21 年版になって「新仮名遣い」の導入を意識したのかローマ字での読みも付されるようになっています.そして他の駅が次々と「歴史的仮名遣い」から「新仮名遣い」に書き換えられた中,他の様々な資料が「とり」としている中で,昭和 21 年の運輸省鉄道総局出版『鉄道停車場一覧』だけが「とりふ(Toriu)」なんですよね.「新仮名遣い」の導入前に廃止されてしまった停車場であることを勘案しても,不可解なことが多すぎます.

35 ページ右柱 9 行目 /各版共通

 件の倒木は折れてしまったようです.しかし,2017 年春現在でも目印として健在です.

42 ページ /初刷版

「もうひとつの可能性」はその後踏破しました.詳細は「ちょい+」「微改訂」版に収載した追補にて触れています.

54 ページ右柱 2 行目 /ちょい+版

誤: http://lavenderblue/chair/kewporuoi/
 正: http://lavenderblue.jp/chair/kewporuoi/

その他

新たにわかったこと等々いろいろあるのですが,いずれ全面改訂版の発行を目論んでいますので,そちらをお待ち下さい.何年後になるかわかりませんが.