碓氷峠のある風景 (撮影:Jan20/99)



 なんだか凄いことになっている旧横川機関区.

 まぁ・・・なんと言いますやら.

 「むら」を走る予定? のミニ客車.右手から妙義,赤城,榛名・・・だそうだ.

 横川郵便局横の踏切.通る車はみんな一旦停止していく.

 遮断機のひとつが離れたところに動かされてしまいました・・・

 11月に「そして鉄路は切れた」と書いた場所.このアングルからの見た目は変わらないけど・・・

 反対側を向くとまた鉄路の繋ぎ方が変わっている.

 いわくの新碓氷第1隧道横川側出口.奥の架線柱に比べて,手前の架線柱が新しいのがお判り頂けるだろうか?

 機関車4両編成はトンネルを出てきたところで右側の斜面に向かって転覆した.その時倒された架線柱を立て直したモノが,手前の新しい架線柱なのだ.

 昭和50年10月21日早朝,回5462列車が新碓氷第1隧道内にて暴走,車体を壁にこすりつけながら下り坂を転げ落ちて行った・・・らしい. これがその痕だとか.

 トンネル内はカーブになっており,ここを高速で通過したために車体がカーブ外側に振られ,トンネル壁に車体が接触,更に支えを失ったところ(トンネルを出たところ)で転覆した.

 転げ落ちた先・・・であろう場所を線路上から望む.(実際には画面右手=坂下側遥か先まで吹っ飛んだようです)

 事故原因は過速度検知装置の取扱いミス並びに居眠り・・・ということであるが,異説もある.

 土手の下から線路を望む.

 碓氷峠を軽井沢から降りてくる場合,急な下り坂が続くため,強力なブレーキを掛け続けていないとどんどん加速してしまうのだ.

 立て直された架線柱.この路線が開通したのは昭和38年であるが,この架線柱だけ昭和50年に建てた旨の表示がある.

 ちなみに,この事故以後,EF63 の過速度検知装置は改良が加えられた.どこがどう変わったのかは知らないが・・・

 どこぞの鉄が掲げた看板.

 “横川の灯を消すな”鉄道文化むらの早期完成をお願いします ・・・ まぁ多くを語るのはやめましょう.

 ちなみに「日本最古の駅弁屋」は京都・五条坂の「元祖八ッ橋」「本家八ッ橋」「八ッ橋発祥の店」の如く,「おぎのや」以外にも多く存在する.

 「文化むら」は予定より半年遅れの今年4月の開業らしい.

 どんなものができるかいまいちはっきりしない点が多いが,来訪者に,この地で「何があったか」を正しく伝えてくれるようなモノであることを期待したい.

































この鉄路が,人の路が復活する日を信じて.
碓氷峠からお伝えしました.

Presented by Masami.H