昨日のタンス預金の話,もう少し.過去にも何度も書いたことのような気もするけど「大昔のことは知らんが」という前提で.
銀行が破綻したとしても基本的に預金は全額保護される.平時使う量を超える現金をタンスに置いておく方がどう考えてもリスクのほうが高い.災害時に電子マネーが使えない等の備えは必要としても百万千万の単位は必要なかろう.
時々煽る声が聞こえてくる「預金封鎖」と対策の話.これは「通貨切替」とセットでなければ意味がないし,実際に過去の日本で「預金封鎖」が起こったときも「通貨切替」とセットだったと聞いている.タンスに現金置いておいてもそれこそ本当に「肖像の印刷されたちょっと良い紙」になり果てるわけで,何の対策にもならん気が.ついでに現在の電子マネーの普及を考えると,どうやって封鎖するかの方が問題になりそうだ.強行的にその辺のものを全て停止させることになるだろうし.同じく「財産税」の話も,継続した所得隠しという前準備とセットでなければ高確率で国税が嗅ぎつけてくるだろう.この辺は相続税の取り立ての話を聞くと「うわぁ・・・」となるからなぁ.
脱税の策を練るより,そんなことにならんように政治等に働きかけることのほうが良策だと思うのだがなぁ.まぁ戦争に巻き込まれたとか世界恐慌だとか,国内政治だけではどーにもならん偶発事象であればもう諦めるしかないが.あるいはタックスヘイブンに脱出するか・・・某ハゲ社長なんかは「国外に逃げるに逃げられなくなった」好例として語られることなんかもあるねぇ.
政治に働きかけるといえば,「インボイス制度」はそろそろ企画倒れの報が流れてくれないかな.微力ながら抵抗活動中なんだけど.ゐや,事実現状維持と同じ効力を発揮しそうな制度になるって噂も流れてきてはいるんだけどね.一般人は他人事,あるいは好ましいことだと思っているかもしれないが,これまで非課税だったものが課税対象になれば「非課税だから価格を抑えられていたもの」の最終販売価格に転嫁されることになる,即ち値上げだ.無関係ではいられないぞ.ってかあたしならそうせざるを得ないし,税額を超える額を乗せざるを得ない.何でそうなるという声も聞こえてきそうだが,「手間」もコストだからというのが答えになる.その「手間」を割けないだろうからということで免税になっているのが現状なんだ.それが課税となれば「税」と「手間」が販売価格に上乗せになるのは当たり前だろう? 何故か日本では「手間」や「技術」はコストとして計上されない風潮があるみたいだけど.苦情は霞が関へどうぞ.
てか現状での課税業者は単に手間が増えるだけでしかないんだよな.誰だよこんな制度導入しようとか言い出したの.そりゃあ税理士会も反対の声を上げますわな.
話は全くもって飛ぶのだが,いつも使ってる証券会社から今日,ゆうちょ銀行 PO の話が流れてきた.そういえばゆうちょ銀の株を放出するって話が先日出てたなー.参加する気はないけど.
でも昨年「ANYCOLOR」の IPO があった時は半分以上冷やかしでブックビルに参加したっけ.購入権が当たったぽいんだけど,ある程度まとまった金額が必要になるし,成長産業だとは思うけど応援したいとかそういう気はないからなーとパスしたら,上場3日目だったかにしてようやく初値が付く大人気であれよあれよと売出時の5倍超に.その後やや落ち着いて秋頃に気がついたら8倍近くになっていた.「ほへー,やっぱ成長株だったかー(だが買わなかったことは後悔していない) 」と思えば,年末からどどーんと落ちて現在売出時の3倍に近いくらいかと.ほんとババ抜きの世界だわなぁ.そして本当に応援したくて買うんでも,余程の割安か資金が有り余ってるかでなければ単元未満とかでちまちま買い集める方が個人では得策だろうなーと.こういうのも「いつまでも『経済わからん』とゆーててはいかん」と思い立たなければ考えに至らなかった話だわなぁ.
はぃそいじゃ今日1発目は松任谷由実で 1979 年のナンバー,『緑の町に舞い降りて』.
VIDEO
爽やかで,松任谷由実の好きな曲を挙げろと言われたら1・2を争う位置に挙げたい曲だね.もっとも,最後の一節が何を意味するのか,初めて AM ラジオで耳にした 35 年前からずーっと落とし込めてないんだけど.
"2022 mix" とあるけど,1979 年版とアレンジが変わってたりするわけじゃないね.リマスター版とかそういう意味だろうか.でも USB DAC にちょっと良いヘッドホンで聴いても手持ちの CD と音質に変わりが感じられないのは,公式とはいえ結局はネットに上がってる程度のブツだからってことだろうか.DAC 通さないとかヘッドホン変えるとかすると・・・・・まぁ,ねぇ.「音質の良いゲーミングマザー」とかゆーてる連中も低音ブーストで誤魔化そうとしてないかってな・・・おや,こんな時間に誰か来たみたいだ.でも居留守を使おう.ともあれこの曲の次が『青春のリグレット』って,セット組んだ奴出てこい! 良いじゃないか!(笑) で,セトリに『カンナ8号線』とか『5cm の向こう岸』とかが入ってるのは「おおーっ」だが,『帰愁』とか『ランチタイムが終わる頃』なんかはないんだな.
・・・昔は好きだったんだよなぁ,松任谷由実.1990 年代前半までの CD はコンプしてる.なんだけどその頃からなんだか自分と波長が合わなくなって,それ以降のものは一切買ってない.そんな感じなもんで,'90 年代後半に「新曲」として出てきたものの「ゐや,これ『松任谷』由実が唄う『荒井』由実じゃねぇの?」とひとりラジオにツッコミ入れてたら本当に「荒井」時代に作ったもののセルフカバーだった・・・なんてことがあったし,それくらいに年代によって「芸風」の変わる人で,おそらくは時代に合わせて変えてきたのだと思うし,聴いててそれがわかる人であったりする.それで '90 年頃からあたしと「波長」が合わなくなったのだろうな.一般には売れてても.年寄りだとかそんなんじゃなくて,新しい音楽も聴きますよ.でも現代の松任谷由実とはやっぱり「波長が合わない」な,と.谷山浩子や中島みゆきなら良いんだけど.ところで「文化功労者(あるいは文化勲章)」と「紫綬褒章」の境目ってどのへんにあるんでしょうね.管掌が違うってのはわかるんだけど.
ともあれ,昔はひこーき乗るたびにこの曲が脳内再生されてたんだよなーと,先日のひこーき絡みの話から無理やりつなげてみる.いつからだろうなぁ.大学入る前は移動は基本汽車だったし,北に転地した学部時代からは安かったんで船が基本だった.入院してゲフンゲフン 院生になって時間がなくなってひこーきを基本に利用するようになって・・・何時の頃からか「東京と札幌のどっちに生活拠点があるのかわからない人」と称されるほどにぱかぱか東京に出没する現在ではもうさっぱり,と.やっぱフライトがそれなりに日常になった頃からかなぁ,鳴らなくなったの.
いずれにしても時代を感じさせる曲ですな.1982 年の東北シンカンセン開業で東京/羽田~岩手/花巻の空路は廃止されたし,オープンタラップなんて使うのは要人くらいのもんだ.短距離小型機でも基本はブリッジだし,タラップつけられても屋根付きだし.機内音楽のイヤホンも今はふつーに1口のミニジャックだけど「ちょっと前」までは2口で変換アダプターかまさないと片側からしか音が出なかったり,その前だと聴診器みたいな構造になってたし.今でも AirDO なんかは「聴診器ぶっ刺す穴」が残ってる機体に当たることがありますな.機能してるかどうかはわからんけど,機能していた頃は大音量で放置した奴がいると「どこからともなく音楽が聞こえる」という怪現象に遭遇したっけかのう.ところで「モリオカ」ってロシア語Мориокаってよりアイヌ語でね? ゐや,語源は日本語らしいんだけど.
まぁそんなわけで,明日はちょろっと九州まで飛んできますわ.BGM? そうだねぇ,たまには意識的に『緑の町に舞い降りて』してみますかね.描いてる話は『消息』なんだけどね.マイナーだけど好きな曲・・・こいつは 1982 年かぁ.
話は全く変わるんだけど,「エル・カンターレ」にも「死去」って概念があったんだねぇ.驚いたよあたしゃあ.てっきり即身仏的なものになるのかと.ゐやどこの誰のこととは何も.あるいは7日したら復活したりするんだろうか・・・
♪幸福に向かって走る~あの宗教に入ろう~
俺は隆法じゃないんだ かといって隆法でもない~
「ハイファンタジー」が「異世界モノ」と括られてしまう「へ?」な世の中ですが,その「ハイファンタジー」文学として有名なジョン・ロナルド・ロウエル・トールキンの『指輪物語』.その本編最後のセリフは何だったでしょう?
そういうわけで,Mar5 の小倉・九ティアから,謎のルートを辿って Mar11 東京・たびちけをハシゴして北に帰ってきました.ゐやー,この時期に1週間も北を留守にすると景色が一変するねー.出る時は歩道もまだ氷床だったのに,帰ってきたらわずかに消え残ってるくらいでやんの.そして春来たりなば・・・また夏がくるのか(うんざり
囀り場の方に点々と残した足跡だと筑前,豊前,長門,備後,そして小郡の駅で先の写真を撮ってまた長門の端っこ.ここまででも謎ルートだけど,ここから先も謎ルートで武蔵国入り.結局,石狩から筑前に飛んで,豊前,長門,石見,出雲,備後,安芸,周防,長門.ここまでは繋がったね? んでもって伊予,讃岐,淡路,和泉,河内,大和,伊勢,三河,遠江,駿河,伊豆,安房,上総,下総,武蔵.謎ルート.そして相模から鎌倉・・・には行きません.
ちなみに謎のバックパックの中身は薄い本とか,什器とか,撮影機材とかです.「手周り品」も移動時は基本的にこのザックの中に入っており,空港でその「手周り品(PC 等含む)」を抜いた上で 15kg 以上あったから・・・この状態で 20kg はあるのかな.まぁそんなもんですわな.そして 20kg のキャリーケースなんか牽いて歩いた日にゃ腕肩が死にますが,このザックを担いであちこち歩いていた間は身体のどこにもガタは来ませんでした.やっぱ即売会荷物はキャリーよりも「まともな」背負子のほうが楽だわというのが実証されましたな.あとは「正しい身体への荷重の掛け方」か.これ間違えると死ぬからして.ところでこのザック,容積的にはまだ 2/3 も使ってません.限界まで詰め込もうと考えると,その 1/2 強くらいしか入ってないんじゃないかな.耐荷重? どのくらいまで行けるんだろうねぇ.メーカー公表値はないけど,ザックの前に身体が駄目になりそうだ.
にしても久々に「18 きっぷ」で「豪遊」したわ.しかも昔に比べて使い方が荒くなってる.昔は「特急ワープ」も決死の覚悟だったけど,今回は徒歩ワープだバスワープだ(計画はあったが非実行) タクシーワープ(鉄路代行+自費) だと.代わりに特急ワープとかシンカンセンワープだとかはカマしてませんねぇ・・・体力も財力も昔よりパワーアップしてませんか,こいつ.
いくつも街を歩くうちに やがて外の暮らしに慣れてきて ・・・・・ いや,やっぱり世界は広いよ.
で,帰ってきてメインマシンを起動したらなんかやたらと時間のかかる WindowsUpdate に引っかかって.何やってんだろうなーと待った末に上がってみれば,DLL のデッドリンクで一部ソフトが起動しなくなっていた件 が再リンクしたみたいで回復しました.やぁ,これで急いで新マシンを組む必要がなくなりましたな.最近の Update は Edge をゴリ押ししてきて鬱陶しいけど,こいつも \\HKLM\SOFTWARE\Policies\Microsoft\EdgeUpdate\CreateDesktopShortcutDefault=0(dw) というわかる人にはわかる呪文で黙らせ平穏を取り戻すことができます.はぃ.
さーて5月新刊に向けて執筆せんとねー.
そうそう,書こう書こうと思って忘れてた.『緑の町に舞い降りて』の話.何の理解に悩んでいるのか というと,最初は「あなた」と言っていたのが途中から「誰か」になっちゃってるんだよね.そしてそれが最後まで引っ張られる.さて「誰か」というのは遠回しな表現で「あなた」と等号で結ばれるのか,はたまた本当に any なのかと.
こう,谷山浩子『カントリーガール』(除:1980年版) の「ぼく」とは一体誰なのか問題のように永遠に解かれない謎だったりとか・・・するのかなぁ.30 年くらい前の検証だと「霊障のおそれがあるので」とかそんな話も転がってたけど.あたしの解釈は「あっち逝っちまったか」だったんだけど.ほれ「男に袖にされた松任谷由実,中島みゆき,谷山浩子,それぞれの反応」ネタみたいな.
さて,今日の戯れ言.
「愚行権の行使は,これを妨げてはならない」
昔,Adonai なところ絡みでそう聞いたような気がするのだけど,昨年の元総理銃撃事件から問題になってる「宗教二世」問題と絡むと「児童虐待の可能性 」と来ましたか・・・十分な判断力のある大人が納得してやってんならまぁと思うけど,そうでない者となるとなかなか難しいねぇ.なんつってたらもっと具体的な虐待話が出てきちゃった よ.
小学生の時,同じクラスに Adonai なところの二世がいてねぇ.「信仰上の理由」により時々目立つ子であった.それでいじめられたり,逆に布教を始めたりとかいうことはなかったけどさ.あたしもあまり接点のある子ではなかったけど,何だったかのときに世間話の延長で「児童会役員選挙を欠席」した理由を聞いたことがあったというのは確かに記憶にある.「人の上に立つものは神が決めることであり,人が決めることではない(要旨)」という明快な答えが返ってきたこともよく覚えている.特に嫌な反応をされることもなく,こちらも「そういう考え方か」と妙に納得したり.
で,ニュースを見て,あの子もこんな虐待を受けていたりしたのかしらんと.傍目で見ていてそういうふうには見えなかったんだけどね.まぁ家の中のことなんて傍からじゃわからんよね・・・と,なんとなくその存在を思い出したりしたこの頃なのでした.
お次.胡乱な通販番組で見たことのある炊飯器 .国民生活センターの発表を機にようやく重い尻を上げて「どういう仕組みか」ってのを調べてみたんだけど・・・やっぱり納得出来ないというか,5銘柄中1銘柄では広告で謳われていた通りの結果が出たんかいと驚いたというか.いずれにしても
同じ量の米から炊いたごはんでは(中略)含まれる糖質(でん粉)の総量に大きな差はみられませんでした。
という総括にはやっぱりズッ転けるしかない.
そして冤罪の可能性のある事件の再審 .なんかこの時代の「重大事件」って容疑者とっ捕まえました死刑判決になりましたっつっても最終的に「冤罪でした」とかいうオチが付く事件が多いのは気のせいか.ついでに先のリンク先も,捜査当局が「本当に容疑者がやったのか」ではなく「容疑者を死刑にできるかどうか」に注目しているように見えるのが恐ろしい.こっちが気になるのは「立件できるかどうか」じゃなくて「真犯人どこだよ,なんでそんな事やったんだよ」なんだけど.世田谷の一家殺害事件みたいに迷宮入りなんてのももやもやするけど,誰でもいいから血祭りに上げろなんてのは望んでいない.
個人的には某カレー事件も冤罪じゃないかと疑ってるんだけどね・・・なんか話に聞くところでは件の死刑囚の子供達はかなり悲惨な人生を送り・・・閉じているとかで.なんだかなぁと.
『カントリーガール』(除:1980年版) って,そんなにバージョンあるん? えぇ,ありますねぇ.少なくともあたしの知ってる限り '80 年版,'85 年版,'90 年版の3種.まぁ村下孝蔵『女優』の '84 年版と '90 年版ほどの違いはないのですが.まして『瞳に銀河』(林原めぐみ) と『レインボウスカイ』(YAUMIN/YAWMIN/高橋洋子) とか.ってこっちは唄い手も変わってるし.もっとも唄い手が同じでも Danièle Vidal の『Aime ceux qui t'aiment』と『天使のらくがき』のように「あれがどうしてこうなった」というのもあるけど.さておき,
谷山浩子 カントリーガール聴き比べ
上記動画だと頭から '90 年版,'80 年版,'85 年版.おそらく最もメジャーなのが '85 年版ではと.あたしが初めて早朝の AM ラジオで聴いたのも '85 年版だったしのう・・・って,あの頃 '90 年版はなかったわというか,少なくとも未発表だったわ.
で,「ぼく」問題ってのは・・・まぁ先にも書いたとおりで.何も考えずに解釈すると「あいつ」と等号で結ばれるんだけど,それだとあまりにも話の流れに無理筋が.かといってそれと別人,例えば「たまたま同じ文面の手紙を書いた昔なじみ」でも話が今ひとつつながらない.ってか思いっきりストーカーもとい追跡型変質者だ.それじゃあ「ぼく」って何なんだ・・・という.表面だけをなぞるな.きちんと裏を読め,ってのは『きみが壊れた』なんかが良い例かと.
ですよねー(笑)ってところで『王国』化はしないさ.あれは主人公に相当強い意思があると見えるからして.
「王国」勝手に絵をつけて歌ってみた【ササキ】
この人,『よその子』も発表してた んだけど,消しちゃったみたいだね.あたしとは一部解釈違いがあったとはいえ,良い作品だったのに.もったいない. ・・・おそらくは本人が公開を望んでいない作品を勝手に再公開するほど無神経じゃないっす・・・が,自分の手許に死蔵させるのも世の中の損失だよなぁという葛藤もあり.というのは,自分が「書籍」という一度発表したら「残る」上に,そう簡単に訂正が利かない媒体を創り続けているからだろうか.一部は公共図書館に所蔵されるくらいに遺してるし.「デジタルタトゥ」なんてのも何だかんだ消えるしね.丁度 10 年前に中学生 16 人が卒業式終了後に「集団バカッター」やった件なんて覚えている人はごく僅かだろうし,それに関する記録もよほど狙って探らないと出てこないでしょ・・・と思ったら「問題」写真3枚のうち2枚が画像検索に引っかかった.いずれにしても狙わないと出てこないが.検索用画像3枚はどこから出てきたって? そりゃあもちろん雅美文庫アーカイb(略
閑話休題.「袖にされた3人の反応」ってのはそれぞれ「見返してやる」「恨みます」「あっち(自分の世界) 逝っちゃう」ですな.なんでこの3人が比較されるのかというと,'70 年代前半にデビューし,かつ今日まで永く活躍している女性シンガーソングライターという共通点っすかね.そのくせそれぞれに癖が強い.流行に乗り続けるのもすごいし,お構いなしに我流で今どきに合わせた曲が書けるのもすごいし,後に「晩年の発表」と呼ばれるであろう時期になってから「神曲」と讃えられる一作(というより実際に「神か!」としか表現のしようのない何かが詩中に登場する) をぶっ放せるのもすごい.
ところでメリケンやスイスの銀行破綻で金地金の価格が過去最高値を更新しまくっているとか・・・「は?どこが?」と考えてしまったが,普段自分がワッチしているのは米ドル建て価格.対して過去最高がなんとかってのは日本円建て.そりゃあ話が今ひとつ食い違うわけだわと.先日も某所で Gold の話になったんだけど,こっちはトロイオンス単位米ドル建てで把握しているのに対し,相手や市場情報はグラム単位の日本円建てなもんで換算が必要だった・・・というオチがどこにあるのかよくわからない話なんぞも.とりあえずドル建てだと現状より値上りした時期が過去にあったが,その時は円安じゃなかったからねぇ・・・とりあえず現状上がりすぎてて週明けに何か好材料が出ると暴落する可能性もあるんじゃないかと警戒してるところなんだけど.ま,そんなコトがあるかは謎だけどね.「なーんだ利上げしても景気減速なんかしてねぇじゃん」っつって2月頭に暴落,先週末は利上げの影響で銀行破綻して暴騰,落ちて騰がって 150 ドル.これだもの.
なんかネットのニュースストリーミングを流すと WBC WBC と連呼しておって・・・そもそも WBC って何なのかという説明がまったくなく話が次々流れていくのだが,何なんだろう.ボクシングの話題が延々と続くというのもよくわからないが,ラーメン屋に巨大ペッパーミルが登場して云々という話がどう関係するのかもよくわからない.何があったのかという話も全く伝えられなければ,王者ではなく優勝がなんとかと.あたしの知らない基礎教養をもとにしているようで,単に WBC(世界ボクシング評議会) WBC(世界ボクシング評議会) と連呼されている様は・・・とりあえず節電ならぬ,節データするかとそっ閉じ.まぁデータ量に関わらず定額なんですけどね.ってか専門番組なら読解にそれなりの基礎教養が要求されるにしても,一般ニュースのハズなんだが・・・ついでに侍ジャイアンツ・・・じゃなくて「士ジャぱん」がなんとかとも連呼されておったが,近年なんとかパンが雨後の筍状態でなんとかフォーティエイ党並によくわからん.ゐや,歳でついていけないじゃなくて,単に興味がなくて同調回路をわざとずらしているだけのような気もするのだが.先のイベント終了後に松風某と入った店のテレビで野球中継をやっていたのだが,指摘されなければそもそもテレビが存在していたことに気づかなかった程に同調がズレている.全部わかっててわざとやってんじゃねぇかって? ゐやゐやテレビは存在自体本当に気が付かなかったんだってば.そもそも灯を入れてすらいなかった部屋のテレビは5年前の地震を期に窓から投げ捨てて「テレビのない生活」で,そういう生活習慣ないもんで・・・
あ,来週は TAMA コミに出てます.新刊は5月ティアを目指して鋭意執筆中.なお進捗は全くダメです.でも昨年のような事態は避けたし・・・
で,そろそろ意見表明をしておきたいなと思い.LGBTx ―あたしは x に Q ではなく I を入れたいし,Q はちょっと違うんでないか?という話はさておき,今日において通りの良い言葉なのでとりあえずこの言葉を使うことにする― の差別が云々で法制化しようとか修正が必要だとかその辺の話.
「差別(=不当な区別や排除行為) は許されない」ってのはまぁ当たり前のこととして.それに対する反論というか「懸念」が,まさに幾夜大黒堂『境界のないセカイ』が講談社から出版ドタキャンされた(のち角川が救った) 話の時代から「実際としての理解」が全く進んでねぇなぁと.まぁ 10 年やそこらで社会は変わらんけどさ.何故講談社が出版をためらったのかというと「劇中に LGBTx から苦情が付きそうな場面」があったからとされている.実際に LGBTx 方面から苦情が入ったのだが,その理由が「劇中のそれはきちんと読めば差別的な意図ではないことがわかる.人を悪質クレーマー扱いかよ!」という,出版を見送ったために逆にツッコミを受けるという苦笑いするしかない事態に至った事件.そんなことがあったのだ.その頃から全く「実際としての理解」は変わってねぇなぁと.極論すれば,おかしな権利要求をしてくる連中と理解されている(可能性) と.根底にあるのは恐らく・・・率直に言ってしまえば「無知」であろうて.よくわからない相手だから怖い,必要以上に「配慮」する.
して,今回の法制化云々でよく聞こえてくるのが,「身体的男性が内面的女性を主張して女風呂に入ってきても『差別禁止』で追い出せないのか」なんて叫ばれているんだけど・・・結論から言おう.それは法ではなく箱か社会の問題で,現状受忍しなければならない「不合理とはいえない区別」だ.つまみ出せ.
「望む性別」で生きていこうとする人にとって,公衆浴場は「最終試験」であると聞いたことがある.「望む性別」で生きていこうという場合,SF 世界のようにちゃちゃっと身体を作り替えることのできない現在の人類社会にはいくつもの壁がある.容姿やらなにやらを整え,実際社会的に「望む性別」で受け入れられるためには相当な努力・・・と,もしかしたら天分に近い適性あるいは「人体改造」が必要であろうし,それが身体のカタチがモロに周囲にさらされる公衆浴場となればそれはいかほどのことかと考えれば.そして「望む性別で(この社会で)生きていこう」というそのカッコ内が示すように,そういった人たちはかなり社会的に配慮している.周囲に違和感や嫌悪感を抱かせないように,社会に溶け込めるように.裏を返せば薄氷一枚で社会と軋轢あるいは混乱を起こしかねないことをよくわかっている.そのために「社会的に表に出てこない(=存在が認知されない)」というジレンマを生んでいるわけなんだけどね.ともあれ「まともな」輩であれば,先のような行動には至らないということがほぼ断言できる.逆に先のような行動に至る者がいるとすれば,それは単にやましい目的を主として嘘を吐く者か,あるいは敢えて社会的な混乱を企図する何かではなくてか.あとは「混浴」などに箱を作り替えるか,だ.
あたしも "L" である.他人と一緒の入浴は苦手で,宿を探す際は必ず内風呂や,ひとりで独占できる「家族風呂」があるところを選んでいる.いろんな意味で苦手なのだ.自分自身を人前に晒すのもアレだし,自分がそこに存在して良いのかということも考えてしまってアレだし.トイレやら更衣室なんかは・・・まぁ前者は個室だし,後者も素っ裸がデフォとかそういう訳ではないし,かといって自分が「男性用」に突撃するほうが社会的混乱を呼ぶし,自分も気分的に嫌なのでってかただの「痴女」だ.「当事者」はそれくらいには苦悩し,社会的に配慮している.少なくとも「まともな輩」は.あくまでも自分中心の意見かもしれないが.だからこそ「懸念」を持っている人々には主張したい.
それは法ではなく箱か社会の問題だ.
もっとも,そんな「懸念」の旗を振るセクトの本音は「そんな連中(この場合は "LGBTx")の存在を認めたくない」なんじゃないかと穿った見方をしたくなるのだが.逆に,本当にそんな輩が出てきた場合は「我々の手で」「総括」しなければ・・・もとい,たしなめなければならない存在なので是非に詳しく教えて欲しい.一時期流行った「ジェンダーフリー」の,本当にあったとすれば「その実行にあたり何か勘違いなさっておられるようだが・・・」とこちらが問い詰めたくなるような「行き過ぎた事例」のように,だ.
と.まぁそんなことを,漫画家な友人の新刊を手にとって「そういえば文字に残しておかないとな」などと思い至り.